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177 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2012/03/25(日) 15:51:27.10 ID:tCG+dNh00
コナン・ドイルはパリの駅前でタクシーを待っていた。
タクシーが前に止まった。
彼はスーツケースを積みこむと自分も乗り込んだ。

運転手に行き先を言おうとすると、運転手が尋ねた。
「どこへ行きますか、ドイルさん?」

ドイルは仰天し、自分を見知っているのかと運転手に尋ねた。
「いいえ、以前にお目にかかったことはありません」

ドイルは不思議に思った。
どうして自分をコナン・ドイルだと思ったのであろう。

運転手はこう答えた。
「貴方がマルセイユで休暇を過ごしていらっしゃるという記事が今朝の朝刊に載っていました」
「このタクシースタンドは、マルセイユから戻ってきた人達がいつも来るところです」
「肌の色を見れば、休暇を過ごしてこられたのは分かります」
「右の人差し指のインクのしみで、作家だろうと思いました」
「洋服はフランス風ではなく如何にも英国人らしいものです」
「これらの情報を総合して、サー・アーサー・コナン・ドイル氏であろうと考えたわけです」

ドイルは感心して言った。
「それは本当に素晴らしいな。君は私が書く作品のシャーロック・ホームズに匹敵するの推理力の持ち主だ」

「それと、もうひとつあるんです」
と運転手は付け加えた。
「なんだい?」

「スーツケースにお名前が書いてあります」

(※実話)
俺、老人苦手。

「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。

老人慣れしてるヤツってスゴイ。

電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。

年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に
常にいっぱいいっぱい。

敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだか
わからなくて、困る。

胃が痛くなる。

親がいなくなると、話題ゼロ。

田舎帰るの嫌い。

で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、
親の帰省に付き合わなくなる。

高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識。




ところが、

去年、じいちゃんが死んだ。

葬式はさすがに帰省。

正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。

ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。




それから一年。

親父がいきなり

「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」発言。




いやいやいやいや、ないないない。

とか、とても言えない。

親父曰く、ばあちゃんは、このところ体調を崩しがちで、入退院を
繰り返していて、一人で暮らしていくのは厳しいと医者から
言われたらしい。

いや、うん、でも、えーと。

俺だけではなく、何となくどんよりとした空気が家族に流れる。

誰も反対しなかったけど、なんかみんな歯切れが悪い。

母さんも「部屋をどうするの」とか「手すり」がどうとか、ネガティブ発言。

妹は「なんでウチなのー?お父さん末っ子なのにー」とか言って雷落ちる。




で、先月、ついにばあちゃんが福島から東京の我が家に越してきた。

母さん余所行きの笑顔。

妹、部屋から出てこない。

俺の部屋にじいちゃんの仏壇置かれる。夜怖い。

福島の家は売って、荷物もほとんど処分したみたいだけど、
ばあちゃん、変な自転車持ってくる。

六蔵って書いてある。

すげぇ古い。じいちゃんの形見っぽい自転車。錆びすぎ。ちょっと邪魔。

そんな感じで、ギクシャクした生活が続く。

母さんと気の使い合い。

たまに作るばあちゃんの飯の味付けがイマイチ。出てくる料理も見慣れない。

家でリラックスできない。

ばあちゃんもばあちゃんで、あんまり喋らない。



2週間前のこと、うちにばあちゃん宛の手紙が来る。

入院してた病院の看護婦さんかららしい。

その看護婦さんはじいちゃんが亡くなるときも立ち会った人みたいで、

手紙の内容は、まぁなんつーか、その時のことをつらつら。

じいちゃんの最期はとても感動的だったらしく、

ばあちゃんがじいちゃんの手を握りながら、

「もっと一緒に暮らしましょうよ。もっとお話しましょうよ。

 もっと私を怒ってくださいよ。もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。

 死ぬときは一緒ですよ。もっと一緒にいたいですよ。ずっと一緒ですよ。」

と何度も何度も語りかけながら亡くなってたらしい。

10代で結婚し80年連れ添った二人に凄く感動した、という内容が9割で、

あと1割、新しい環境で元気にやっていますか?という手紙だった。



その日の夕方、ばあちゃんが我が家を震撼させる発言をした。



「自転車の練習をしてみようと思うのだけど、ユウちゃん教えてくれる?」



ユウちゃんは、俺。

ばあちゃんは90オーバー。

さすがに止めた。

ばあちゃん、自転車経験もちろんゼロ。

先月まで、病院でリハビリとかしてた人。

家族、総出で止めた。

全然、折れない。唯一の戦前生まれ。



朝には母さんが諦めたように「ユウちゃん頼むね、見てあげて」と言った。

あと、「絶対絶対絶対、ケガさせないでね!寝たきりなんかになったら、
ほんとに困るからね!」と小声で念押し。




その日から、近所の公園で俺とばあちゃんの不毛な特訓が始まる。

話なんて、そんなしたこともないから、黙々とやる。

敬語。目、合わせない感じ。

やや呆れ気味で、練習開始。

はっきり言って、全然乗れない。

足をペダルに乗せる段階から無理。

跨いでサドルに乗るとこまでに2日費やす。

ペダル漕ぐとか、全然別の次元。

二日間、俺はひたすら自転車がこけないように支え続けるのみ。

毎日帰り道、10分間のばあちゃんとの会話が苦痛。

「今、学校ではどんな勉強をしてるの?」

「ユウちゃんは昔から、算数がよくできたからねー」

そればっか。

じいちゃんの自転車がガコガコガコガコいう音ばかりが目立つ。

三日目にして、俺ギブアップ。

買い物行くのを理由に、帰りはじいちゃんの自転車に乗って、
先に帰ってくる。

んで、気付いた。

サドル高すぎ。

油をさして、錆びだらけの自転車のサドルを一番低くする。

翌日、どうにかこうにか、跨ることができる。

「ありがとね、ユウちゃん、ありがとね」

拝まれる。

でも90歳のバランス感覚は風前のともしび。

漕ぐとか本当、別次元。

なのに、めちゃくちゃのハンドルさばきで漕ごうとする。

俺、自転車支えるっていうより、抱えてる感じ。

全身筋肉痛。

この頃になると、帰り道は第二次世界大戦話。

空襲とかを家財道具を抱えて逃げまどった話とか聞くと、
自転車くらい乗れる気がしてくる。

10日する頃には、どうにか漕いでる。

ただ後ろは支えてないと絶対無理レベル。

ふらふらなんてもんじゃない。ドリフだ。

で、ある日、変な石に乗り上げちゃって、

支えてたけど、二人で転んでしまった。

ばあちゃんは思いっきり足と肘とこめかみの辺を擦り剥いた。

血が出てる。

死んだんじゃないかって本気で思った。

救急車呼ぼうかと思った。

ちっちゃい子どもが転ぶような微笑ましさは全くない。

俺、さすがにショック。

ばあちゃんも、とても怖かったようでショック。

家に帰って、母さんに一方的に怒られて、俺は思わず部屋で泣いた。

その日の夕飯、ばあちゃんが話す。

じいちゃんが病気になるまでずっと自転車で町内の牛乳配りをしてたこと。

それは割と町内でも有名で、手紙をくれた看護婦さんも、
そんなじいちゃんをよく見てたこと。

六蔵さんの自転車の音がすると元気が出ると評判だったこと。

そんなじいちゃんの自転車に乗れるようになって「心配しないでね」って
「みんなも元気で」って町のみんなに手紙を書きたかった、と。

福島で生まれて、福島で生きてきた。

90年暮らした土地を離れて、人生の最後に、俺んちに来たばあちゃん。

「んだ、全然だめだったぁーって手紙書くからねー。ユウちゃんありがとねー」

と言う。

次の日、昨日言った通り、練習は無し。もう無し。

洗濯物を畳んでるばあちゃんに、何か言いたいけど、何も言えない。

すると夕方、親父がスゴイ勢いで帰ってくる。

「ユウ、庭でコレつけろ!ばあちゃん、自転車に補助輪つけっから!

 もう一回乗ってみろ!」

親父、補助輪買ってきた。

それを見て呆れた妹は、バレーの練習に使ってるサポーターを
ばあちゃんに渡した。

母さんの夕食のメニューがほとんどタンパク質中心になった。

バカ家族。



それから、我が家では夕方になると、家族総出で公園。

公園で自転車の練習。



そしてついに昨日、俺が支えることなく、15メートルくらい漕ぐことができた。

それを見て興奮した母さんが、ダッシュで家に戻って、
息を切らせて公園に戻ってきた。

「ビデオ!お父さん、ビデオ!」つって。

で、まるで我が子の自転車デビューを撮影するかのように、

90歳のはじめての自転車を撮影。

公園の端から端。

「ばあちゃん、手離すよ!行け!」

ばあちゃんがカメラを持ってる親父のところまで、必死に自転車を漕ぐ。

ヨロヨロと。ガタガタと。でもまっすぐと。

「行けっ!行けっ!」

「いいぞっ!いいぞっ!」

ばあちゃんの後ろ姿に、声つまる。

親父の声も、裏返ってる。

20メートルくらい、新記録を漕いだ。

すげえ。すごい。すごい!

親父のカメラの前で半分こける感じで自転車を降りて、
ばあちゃんはカメラの前にピースして大笑い。

俺は、ばあちゃんに何か言おうと駆け寄るけど、声にならなくて、

目を反らした先の自転車に書かれたじいちゃんの名前を見て、
もう たまらなくなってしまった。

骨張って、角張って、マジックでしっかりと「六蔵」って書かれてた。

あの日、死んじゃったのは、この人なんだな。

なんで、死んじゃったんだよ、じいちゃん。

ばあちゃん、自転車乗っちゃったんだぞ、って。



その日、撮ったビデオは、家で再生すると、ブルブル震えすぎで、
とても見れたもんじゃなかった。

親父、感動しすぎ。

もうスタートから、涙ぐんじゃって、ばあちゃん ぼやけて見えなかった、らしい。

仕方ないから、福島へは写真を送ることになった。




それからも ばあちゃんは、ちょっとした出先に六蔵自転車で行く。




もっと一緒に暮らしましょうよ。

もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。

もっと一緒にいたいですよ。

ずっと一緒ですよ。

を体現してるみたいに。
LOOTONE (via fffff9)

(出典: takudeath)

全力を尽くすこと。
一丸となること。
歩調を合わせること。
声を出すこと。
休まないこと。
 これらの原則は、ひとつひとつは、野球技術の向上にとって大切なものだし、どれひとつとして非人間的な教条ではない。

 が、甲子園を甲子園たらしめているそれらの原則を徹底させると、その原則の中にいるチームは、ブラック企業とよく似た組織になってしまう。

個々が「全体」の部品に徹すること。
私心を捨てること。
わがままを言わないこと。
 でもって、そうした「滅私奉公」は、「美談」として称揚され、さらに、個々の脱落は、個人的な脱落ではなく、「全体」への裏切りとして処罰されるようになる。

 まるっきりのブラック体制だ。

 もし仮に、365日練習を続行している甲子園強豪校の練習スタイルをプロ野球の球団が取り入れたとしたら、その球団は、労働基準法違反で真っ先に摘発されることになるはずだ。

 球団でなくても、もし企業が、365日無休の献身と向上をそのメンバーに要求したら、間違いなく労働基準監督局の立ち入り調査を受けねばならないだろう。

 皮肉なことに、高校生にとっての野球が「仕事」でなく、「利益」を産まない「アマチュア」の「娯楽」ないしは「教育」の一環と見なされていることが、彼らのチームをブラック企業批判から免れさせているわけで、多くの強豪校は、体質としては、まるっきりのブラック企業なのである。

 私は、個人的には、甲子園を目指す子どもたちの練習ぶりや必死さを、日本で有数の新聞や放送局が、全社をあげて後援・称揚・美化・推薦している限り、ブラック企業はなくならないと考えている。

あーこれは僕が子供の頃から甲子園や部活的なものが嫌いだった理由そのものだ。

(via kotoripiyopiyo)

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もっと美しいものでは「つばき、葉おちて露となる。何ぞ」。「つばき」から葉が落ちたのだから、「つき」。それが「露となる」のだから「つ」が「ゆ」になって「雪」。答えは雪だが、これが椿、葉、露、雪というふうに雪月花するのだ。なんとも溜息が出る。
昨日後輩が飲み会に誘われてたんだけど純真無垢な瞳で「あっごめんなさい、ぼく今日ウチの夕飯グラタンなんで!」って断っていて「じゃあ仕方ないよね感」がその場一体を包んだ

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最速以外のヤツいるのか?

lambears:

lambears:

(出典: namtaf)

宮本 『スーパーマリオ』なんかは、まったく別の要素があって、ただ勝手に動いてるキャラクターたちの間を、自分がどう通るかという話ですよね。

岩田(笑)

宮本 向こうはマリオがやってくることを意図してないという。
ただ、普通に暮らしてるのに、自分で勝手に当たってしまってるわけですよ。

システム管理者はcronじゃない